山口旅行記 2000.5.8〜5.10
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朝、目が醒めると5時だった。早い、早過ぎる(笑) もう少しうたたねをして5時半に起きる。身支度をして5時50分にホテルを出た。コンビニに寄り食料を補給する。6時12分頃ホームに上がると昨日も見かけたC34編成が小月行きとして待機していた。
この日の予定は、9時33分発のいそかぜに乗ること。それまでの間合いを利用して九州に渡り北九州高速鉄道(小倉から出ているモノレール)全線と、直方発門司港行き2630列車(50系客車)に乗ることにしたのである。
まずは6時27発門司行き。来たのはキハ23-4+キハ28-2036+キハ58-587の3連。昨日のキハ23にもまたもや再会するとは・・・。ちなみにこの列車、長門市4:23発、異様なほどの早起き列車だ(^_^) 今回はキハ58に乗ることにする。発車すると115系2連が引き上げ線で待機している。そして下関運転所内には115系や気動車、クモハ42、クモヤ90(車体更新車)、寝台特急用客車などが見える。彦島に入ってしばらくして関門トンネルに入る。トンネル途中までノッチオフだったキハ58だったが上りに入ると同時に力行開始。再び落とした時には既に門司場内。トンネルを出てデットセクションを見ながら駅ホームに滑り込む。上り線側にマヤ34-2009が見えた。
1分の乗り換えでクモハ813−203.門司の広いヤードを眺める。機関区の辺りにはヨ9000がいたり、貨車移動機が貨車(コキに無蓋コンテナ)に積まれていたりとあやしげな感じ。続いて東小倉ヤードではレムフ1000、ワサフなどの保存車両が置かれている。いずれは新しい貨物駅として生まれ変わるところであるが。そのほかにもタキ5450形などのタンク車やコンテナ車を目にする。ヤードが終わり、貨物専用線が立体交差したところが小倉駅である。
東小倉ヤードにいる保存貨車。ワサフ8000? 右にはレムフ10000が見える。 |
小倉駅へ1000系が進入する。ガラス越しで ないと撮れなかったのが厳しいところ。 |
小倉駅では階段を上り、改札を出る。広いコンコースになっていて反対側に北九州高速鉄道の切符券売機がある。6:47発に乗る。車両は1403。4両編成。起動時に201系のような音がするのでチョッパ制御だろう。片道8.8キロで約20分、290円。この時間帯はどうやら10分間隔らしい。車内は逆方向というせいもあってかガラガラだ。小倉駅はJR小倉駅の駅ビルに食い込んだかのような感じの駅だ。しばらくは商業地区であり駅間も短い。やがて車窓は住宅地へと変わる。都市高速道路とも絡む。途中、JRAの小倉競馬場があり、車窓からコースが一望できる。道理で車内広告もギャンブルなのが多いわけだ。 徳力嵐山口で直角に曲がり。2駅で終点企救丘。車庫はこの企救丘にある。またすぐそばに交通博物館がありDD11などが保存されている。今日は時間的余裕がないので切符を買い直してとんぼ帰りする。1本落として7:16発。車両は1106.通勤時間帯にさしかかり、乗客がどんどん乗ってくる。徳力嵐山口で満席になり立席が出る。それからも少しずつ増えていって、小倉駅の1つ前、平和通でかなり下車する。そして終点小倉に到着。写真を撮って再びJR駅構内に入る。
次に今や貴重となった客車列車を待ち受ける。その前に隣の6番線に1本前の620D(7:44着/7:49発)が入る。キハ47-135+キハ47-1064+キハ40-8126+キハ66・67−4の5連で、後ろ2両は切り離しして7:51発筑豊線経由博多行きとなる。それにしてもキハ40-8126ってなんだろう?キハ140とはまた異なるエンジン換装車なんだろうか? 620Dを見送ってすぐに2630レが到着する。2ドアと言う事もあり乗り降りに少々かかる。車内は座席は満席でデッキ部に立ち人が少しいる状態。ドアが閉まり、DD51の唸るエンジン音が聞こえてくる。でも客車内はレールを踏みしめるジョイント音だけで静寂である。さっき見かけた東小倉/門司のヤードを見て門司へ。門司でも若干降りる。次に小森江駅。この辺りも以前は倉庫や工場が立ち並んでいたはずだが、撤去されたのか空き地になっており道路の拡張用地になったりホームセンターなどの商業施設が建っていた。途中、昔からあった高架の引込み線の跡が見える。そして少しで門司港へ。構内には415系4連が1本と、さっきの620Dの3連が車庫に転線中、あとは外浜へ向かうセメント列車が止まっていた。門司港は頭端式のホームであるが到着した線には機回し線があるためホームの付け根よりも大分手前に止まる。急いで隣のホームに向かったが、到着した2630レはすぐに入換を開始する。機関車を門司方に付け替え客車を北側の留置線に収納していった。
←門司港 DD51-878+オハフ50-1277+オハフ50-1288+オハ50-1180 直方→
+オハフ50-1283+オハ50-1189+オハフ50-1286
小倉駅にて。 | 門司港駅にて。この写真を撮った直後に機関車が動き出した。 |
門司港駅構内にある0キロポスト | 門司港駅は昔からの姿である。周辺部もハイカラな雰囲気だ。 |
一時的に改札を出てすぐにホームに戻ると次の8:22発久留米行きが入線していた。8両編成だったがホームの東端側3両は切り離しらしい。一番前のクモハ813−230に乗る。さっきの客車が留置線に入っていった。8:29門司着。走ってホーム2本隣の8:31発に飛び乗る。門司始発下関行き、わずか1区間の運行は全国的にも珍しいのではないだろうか? とはいえ静岡にも沼津−三島というのがありますが(^_^;; ちなみにモハ415−1514.たけやぶやけた(笑) なんだか知らないがこういう綺麗な番号の車に会うなぁ〜。門司を出てすぐに交直デットセクションに入る。電気が消える。下り坂に入り再び点灯。やがてトンネルを抜け、8:34に下関、5番線に到着。2つ隣のホームでさくら/はやぶさが機関車の付け替えをやっていた。
下関では1時間近く時間がある。この時間を利用して車両観察。ちょうど反対側には115系の4連が停まっている、と思ったら一両湘南色が混じっていた。見るとクハ111‐5091。大目玉で分散クーラー。中間は0台、反対のクハは1000番台で、クハはモケットの色が異なっている。G‐03、すごい妙すぎる編成だ(笑) 一番大外の6番線のため写真撮影できる状態でなかったのが残念(^_^;; 4番線には8:49発門司行き415系が止まっている。次に来たのは3番線に山陰線のDC。キハ58+28のペアだがちょっと関心及ばず。次に1番線、下り列車の115系の4連が到着。これまた115系の1000番台/300番台/0番台(大目玉・分散クーラー)という具合。う〜みゅ。これまた大外な為に編成写真が撮れない。今度は関門トンネルを越えてきた415系500番台が6番に到着。8:51発でこのまま宇部新川に向かう様だ。8:59に105系4連が到着。見ると昨日宇部新川で見かけたクモハ105-531を含む編成だ。見ると切り離しをして2連になった上で今度は岩国行きになるらしい。うげげ、静岡の211系3連の熱海−浜松並みにタチ悪いぞ。今度は山陰線からの気動車の門司行きだが、朝見かけたのと全く同じキハ23+28+58の3連。門司まで行った後小串まで行って戻ってきたところの様だ。これに接続する様に到着したのが9:05着、山陽線の115系4連。MM’ユニットは1000番台だがT'cが651番。昨日小郡で見たT'c653は普通の緑のボックスシートだったが、こちらはバケットシートになっている。ただしトイレ前だけはボックスのまま。バケットシート化に伴いシートピッチが拡大され、そのおかげで戸袋部(ドア横)の2人掛けシートはなくなってしまった。この車は車庫に引き上げる。9時7分に中津からの415系1515編成が到着。9時10分を過ぎると駅構内は急に閑散となってしまった。到着する列車もしばらくない。車両ウオッチングを諦め一旦改札を出る。駅改札付近でキセルじゃないかと駅員と乗客(50台ぐらいのおっちゃん)が口火を切っている。警察官が出てきておっちゃんを切符売り場に連れていくところまでを見たが、その後どうなったのかしらん。改札の外でもすることがないのでホームに戻る。
←下関 岡山→
G03 クハ115-1081 モハ114-100 モハ115‐114 クハ111‐5091
G02 クハ115‐1072 モハ114‐320 モハ115‐320 クハ115‐139
C39 クハ115‐651 モハ114‐1152 モハ115‐1088 クハ115‐1140
U24 クハ104‐24 クモハ105‐531
クハ411−333とクハ411−1514 | クモハ105−531 103系からの改造車である。 |
キハ28−2437 6番線外側の側線に待機中 | キハ58−647 |
9時27分、いそかぜが到着する。33分に発車。車内は2人かけの席に片側が埋まる程度。海が見えるポジションをと思って座ったらテーブルを閉める際の止め具が壊れていた。ま、使うからいいけど。キハ181はあまり加速性能がよくないしどこかしらくたびれている印象を受けたことは確かだ。東萩で大量下車がありがらがらとなってしまったが益田・浜田で再び乗車がある。車内販売は益田からあり、弁当を購入。出雲市、松江で大量に下車し、がらがらになってしまった。出雲市は高架駅になっているが北側の旧線路敷が空いたままでがらんとした印象を受ける。一畑電鉄も現在高架化工事をやっているが、もう少しJRの駅に近づけてもよかったような気がする。ちなみにこのときは高架橋本体は完成し線路を敷き始めていた。真新しいPC枕木がバラストの上に並べられていた。架線柱も立ち並び可動ブラケット(架線を支える金具)も横向きになっていたものの取り付けられていた。近いうちに完成することと思われる。終点米子へは15時29分着。
快速とっとりライナーに接続する。ところがわずか3分乗り換えだというのに階段渡って2つ隣のホームまで走らなくてはならない。…。同一ホーム乗り換えにして欲しいものだ。キハ58−1042とキハ28の2連。車内はほぼ満席だったがボックス席の通路側を確保する。次の東山公園で臨時停車。無人駅のはずなのに駅の周りにJR職員が20名近くいる。なんで?と思ったら、年に1度、ここでプロ野球の公式戦が行われていてその試合日らしいのだ。開始まではまだ時間があったがそれでもいくらか下車があった。伯耆大山を過ぎてしばらくして大山が見えてくるが天候が悪く見栄えはいまいちだった。車内を見ると目の前に(上に)女優の鶴田真由さんの三都物語(JR西日本の京都・大阪・神戸)のキャンペーンポスターが目に入る。このポスター、やたらに目に付いて困る(笑) 倉吉で下車。補給をして駅前を観察する。高校生がいっぱい。
キハ47−3003+キハ47‐2017+キハ47‐180 | HOT7003 |
倉吉からはスーパーはくと10号に乗る。先頭車の3番A席。運転席の後ろでちょっと前方展望がしにくいがまずまずのポジション。倉吉発車時点では私を含め4人ぐらいか。車掌は智頭急行の若い女性の車掌さんでした。列車は鳥取でかなり多くの乗客を乗せ、指定席もかなりの埋まり様。因美線に入る。カーブがきつく、また交換駅で制限25キロなどというのがあり、まだまだ本来のスピードとは言えない様子。智頭で運転士が交代する。智頭急行線に入るとカーブも緩くしっかりとした路盤となりスピード感たっぷりな走りを見せる。トンネルも長めだが地上区間も長く景色もそこそこ見られる。上郡で再びJR線となり、運転士・車掌も交代する。相生を過ぎた辺りから眠りこけてしまい、気がついたら大阪に着いていた。新大阪で下車。
新大阪でひかり176号へ。シングルアームパンタのJ9編成。静岡に着くまで雑誌を読んでいた。静岡からは113系L23編成。終着三島で降りる。沼津からの御殿場線は既にない。三島からはタクシーにて家に帰る。
とにかく疲れたけど、115系やクモハ42など趣味的に面白い車両に出会うことが出来ました。また乗り潰しとしても無事今回の目標を達成し、JR西日本管内では津山線・姫新線・木次線・小浜線の一部区間を残すのみとなりました。夏以降、乗り潰しはいよいよ東北地方に入ります。
このペースで行くと、再来年にはJR全線制覇を達成できるのではないかと思います。そうしたら今までとは違う、観光に時間を割ける旅行も出来るようになるかな。
おしまい
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